定年は“終わり”じゃない──『もう疲れた』と語った友の本音に感じた第二の人生のはじまり

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「もう疲れた」の一言に込められた重み

先日、サラリーマン時代に仲良くしていた取引先の方と
久しぶりに飲みに行きました。

彼は今年の12月で定年を迎えるとのこと。

私はてっきり「雇用延長でそのまま働くんだろうな」
と思っていたのですが、なんと「退職する」とのこと。

理由を尋ねると、彼は一言だけ——「疲れた」。

その言葉に、私はそれ以上何も言えませんでした。

長年、責任を背負って働き続けてきた人間だけが出せる、
あの静かな“本音”のような響き。

お疲れ様、と心から思いました。


定年を前にしても「きっちり割り勘」

「今日はおごるよ」と言った私に、
彼は笑って「12月の定年なのに、まだ早すぎるよ」と一言。

結局、いつものようにきっちり割り勘に。

昔から律儀で真面目な人柄は、
最後まで変わらないなあと感じました。

こういうところに、その人の生き方ってにじみ出ますね。

お金の問題じゃなく、
「対等でいたい」という気持ちが伝わってきました。

なんだか清々しくて、少し胸が熱くなりました。


奥様への「LINE報告」という時代

「奥さん、びっくりしたんじゃない?」と聞くと、

彼は少し照れながら
「LINEで“60歳でやめてもいいかな”って送っただけ。直接言うのは怖くてね」と笑いました。

いやはや、まさに令和の定年報告。

でも、その一文にはきっと夫婦の信頼関係があるんだろうなと感じます。

長年支えてくれた奥様に、
少し遠慮がちな“ありがとう”が隠れているようにも思えました。


「これから」を焦らず、少し羽を休めて

「辞めてからどうするの?」と聞くと、
「まだ白紙」とのこと。

けれどそれでいいと思いました。

60歳を迎えた今こそ、
少し立ち止まって羽を休める時間があってもいい。

これまで家庭のため、
会社のために全力で走り続けてきた人たちが、
自分のために時間を使う。

それは贅沢ではなく、
むしろ自然な流れなのかもしれません。

私も彼に、
「今度は自分のペースで、新しい何かに挑戦してほしい」と
エールを送りました。


まとめ──第二の人生のスタートラインに

「定年」と聞くと、
どうしても“終わり”のように感じてしまいますが、
実際は“新しいスタート”なのだと思います。

人生100年時代、60歳はまだ折り返し。

これまでの経験や人脈を活かしながら、
無理のない形で次の人生を楽しむ人が増えています。

今回の彼の「疲れた」という言葉の裏には、
“これからは自分の人生を、
自分らしく生きたい”という
前向きな決意があるように思えました。

12月の本当の定年の日には、
改めてご夫婦そろってゆっくり乾杯したいと思います。

長い会社人生、本当にお疲れ様でした。

☆本日の一品

サラダ


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